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Cokeを3人で飲みながら時間を待つ。熟年の夫婦連れ、乳飲み児を連れた若いカップル、風体のよい中年女性4、5人、ジーンズ姿の女性1人・・・。生まれ育ちが異なる人達がこれから2時間、目的を一つにして行動をともにする。チャイナタウン&ダウンタウン・コースの出発である。
  グレイラインのバスガイドは熟年の男性で、ダミ声のお世辞にもいい声とはいえない。なまりのあるのか、耳が慣れるまでは聴き取りにくい。席は六、七分の混みようで後ろのほうの席に座った。バスはブロードウェイに沿ってダウンタウンへ。右手には朝食を食べたレストランが見えた。黄色の地に赤で"STAGE RESTRAURANT"とどの方向からも見えるように看板がかかっている。歩道の半分ほどを占有している。ガイドもこのレストランのことにふれ、N・Yで最も有名なレストランであるという。
  このレストランの朝食のオムレツにはまったく驚かされてしまった。卵4〜5個分はあるだろうか、大きな皿にデーンと載っている。オムレツだけでもお腹がいっぱいになりそうである。私達の係のウェイターは、40半ばを過ぎた親切なオジサンだった。左利きで伝票に"O-OM"と大きな文字で書いた。オニオン・オムレツの略である。コーヒー、紅茶、パンまでも十分にサービスしてくれた。笑顔で応対するその顔の瞳の奥には、都会生活に疲れた何かが潜んでいるように思えた。
  月曜日の昼下がりのブロードウェイは混雑していた。ゆっくりゆっくりとバスは進む。中ほどあたりに座っていた若いカップルの赤ん坊は先ほどから泣いている。目を覚ましたのであろう。マジソン・スクウェアを過ぎて、バワリーという一画に入った。街のたたずまいはガラッと変わった。

ニューヨークのチャイナタウン

  もともとN・Yは、オランダ西インド会社の領地で、ウォール街の北方には、オランダ語でいう「バワリーズ」、すなわち「農地」が広がっていたという。会社は移民を呼んで定着させる「植民」にはほとんど興味を示さず、「毛皮の取引のための社員の食糧だけ確保できればいい」という考えで、農耕には熱心でなかったといわれる。
  ガイドの説明は続く。ガイドがしゃべるたびに赤ん坊が泣く・・・ダミ声と泣き声のデュエットである。私達のバスが進むバワリー通りには小さな商店が並んでいる。厨房器具、照明器具などの店が多く、看板の漢字が目立つ。左手にブルックリン・ブリッジの見えるところでバスは一時停車。徒歩でこの界隈を回ることになった。

やってきたアメリカ人

  チャイナタウンには、私達とよく似た顔つきの人たちが歩道を群がるように歩いていた。タバコを喫い、同じ東洋系の私達を上から下までながめ「ああ、日本人か」と解かると視線を外らす。一人がやっと通れるぐらいのドアーをくぐると、プーンと香のにおいがした。家の中に入ると、仏様が安置されていて