アメスタWEB版へ戻る はじめにへ戻る 前ページへ戻る 次ページへ進む 第2章へ進む
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先代から二代目、三代目への継承を契機として、新しい体制へ改めつつある企業も見受けられる。大阪の同業卸商、また東京の卸商の二世、三世の方々と意見や情報を交換してみたが、何か同じような悩みがあるように思える。いったい中間業者という存在は将来どうなるのか、管工機材商という業種の発展性はあるのかという、いきつくところはその2点になる。あるいは、総合商社として生きていくか、専門商社になりきるか、全く路線が定まらない。単純で簡潔な利潤追求という目標だけでは納得がいかないし、不安である。まして人生そのものが味気なく思えてくる。
  お腹がいっぱいになって、N9番ゲートの前のロビーで外の景色をながめていると、寝不足と温室のような待合室のおかげで眠くなっていい気持ちである。大きなジャンボも給油をすませ、グランドクルーは最終点検に余念がない。スチュワーデスは交代。席番の順にチェックインする。次の着陸はシカゴである。

25時間

  シカゴに着くと、日本語文字はどこにも見当たらない。「アメリカにやってきたんだ」と今度は自分の目を信じることができた。今、シカゴは夜の7時過ぎ、もう日はとっぷりと暮れている。時間のたつのが早くて損をした気分である。
  待つこと2時間足らず、8時25分発が9時になった。ジャンボのキャビンとはちがい、ボーイング727のそれは狭く圧迫感さえあった。満員だからそう感ずるのかもしれない。人の熱気が肌に伝わっててきそうである。タバコをふかしながら軽食をとっている男性3人が先程から少々騒がしい。陽気に話しながら騒いでいるのでまだ許せるが、時折発する大きな声は私達の疲労感を徐々にましているようだ。

  アトランタに着くと、もう12時近くになっていた。あとはホテルにチェックインしてベッドの上へ体を横たえるだけである。移動することから解放されようとしていると思うと、25時間の疲れがドッと出てきそうである。
  ここアトランタは、アメリカ東南部の重要な空陸交通の拠点といわれるだけあって、1980年に開港したアトランタ・ハートフィールド空港は大きな新しい空港である。離陸する飛行機の数は世界一、乗客数ではシカゴのオヘア空港に次いで世界第2位だそうだ。無人シャトルに乗ってコンコースへ。無事、荷物がアトランタに着いているかという不安が残る。
  「あった!」私達4人の荷物だけがひっそりと、回っているべきバッギージ・クレイムが止まり、その上に無造作に放置されていた。確かに同じ時刻に2便着いたけれど、一緒にコンコースを歩いていた人はどこへ消えたのであろうか。広いアメリカを思わせる。
  若い女性の運転するリムジンでホテルに着いた。フロントで手続きをする。「あれ?」12時を過ぎているのに女性が働いている。フロントも若い女性である。アメリカでは男女の就業の区別はないのだろうか?

25時間かかってアトランタのホテルに着いたところ・・・左から一瀬氏、福井氏、私