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  福井氏は、はじめ Coors(クワーズ)というメーカーのビールを注文したが理解されなかった。ヒューストンではビールといえばクワーズであった。おそらく、南部に市場をもつビールなのだろう。ウエイターがテーブルの端を持ち上げて正方形のテーブルを円形にした。少しは中華レストランらしくなった。味は日本人向きではなくアメリカナイズされていた。醤油味はうすく、どちらかというとケチャップ味の勝っている中華料理であった。でも久しぶりに食べたという満足感に浸り、一人13ドル払って店を出た。
  7時半から始まるミュージカルまでには、かなり時間があった。私達は54丁目付近からブロードウェイに沿って南へ歩いて行った。「N・Yに行けばミュージカルを」「N・Yでは泥棒に気をつけなさい」「N・Yを見るにはひと月あっても足りないよ」「N・Yは道がデコボコでゴミだらけだよ」といろいろなN・Yの感覚が、すでに先入観として私の頭につまっている。しかし、アメリカ最大の街N・Yを歩いていても、そんな感動はない。
  学生のころ、1ヶ月間ヨーロッパへ行ったが、その時のほうが見るもの触れるものがめずらしいものばかりで、キョロキョロしたものだ。それから15年近い歳月がたち、今は三十路の半ばである。大人になってしまったのであろうか。「オジン」と呼ばれる年代になってしまったのだろうか。N・Yの繁華街と日本のそれと比べてみても、そんなに文明の差はないように思う。日本のカメラはもちろんのこと、ビデオ、パソコン、ラジカセの類はすべて見慣れたブランドである。ウィンドショッピングをしていても、これといって買うべきものがないのである。わが日本は、それだけ世界のトップに追いついたのであろうか。

黒ではなく茶色

  マジソン・スクエアーの近くの靴屋に入った。今回も旅行に際して、私はボロボロの靴を履いてきたのである。福井氏がN・Yで必ずミュージカルを観ると決めておられたように、私はこの旅行中に靴を履き代えると決めていた。今履いているボロ靴とよく似たデザインのを選んだ。足に物差しを当て、足の大きさを計り、合う靴を持ってきてくれる。黒人の店員に「これでいい」というと「歩いてみてくれ」という。右足のほうが心持ちゆるいかなあと感じたが、別に気にすることもなかった。クレジットカードで決済するというと快く引き受けてくれた。靴は62ドル95セントであるが、税金が約8%加算され68ドル15セントになった。
  橋本氏、一瀬氏、福井氏の3人は、イスに座って待っておられたが、いつの間にか橋本氏も試着され、一瀬氏もSALE品から高級品まで物色されていた。今度は私が待つ身になった。橋本氏は黒色のもの、一瀬氏は茶色のものを選ぼうとされているようだ。靴屋さんで、買ったばかりの靴をはいたところ
  一瀬氏の茶色のがきっかけで、私はあること思い出していた。福井氏とはじめてお会いしたのは、私が社会人1年目、まだ彦根の工場で働いていたころであった。大阪管工機材商業協同組合の新年賀詞交歓会で名刺を交換して、それ以来その会はもとより、管材新聞主催のゴルフ会でも顔を合わせるようになった。いつしか私自身、福井氏の話される雰囲気、服装のセンス、身のふるまいには一目置くようになった。急に親しくなったのは、1982年の寒い日、一緒にゴルフを回ってからだった。