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  ここアメリカでも少し前まではユダヤに対する反発はあったようで、音楽家ブルーノ・ワルターはユダヤ人であるがゆえに永久的なオーケストラ契約を取ることができなかったといわれる。しかし、レオナード・バーンスタインは、ユダヤ教徒のままシンフォニー界のトップの到達してしまった。今や「反ユダヤ」のほうが生き延びることがむずかしいのかもしれない。
  車はマンハッタン島を横切り、ニュージャージー州に入った。昼食をとるには少々早すぎたので、日本人がたくさん住んでいるというフォート・リーの本屋さんに入ってみることにした。「東京屋」という本屋には、日本の書物ばかり置いてあった。月刊誌、週刊誌に至るまで、若干遅れての販売になるという。レジの横には「××教室生徒募集中」とか「猫の子差し上げます」など、在米日本人の方々の連絡板があった。
  ハヤシ氏お薦めの日本料理店は、その本屋の隣りのビルの2階にあった。雑居ビルで、アートギャラリーもあり、暇をつぶすにはちょうど良かった。「ふるさと」という日本料理店には、のれんが掛かっていて親しみが感じられた。一番奥まった席に座って、ゆっくり店を見回した。マンガ本などがたくさん置いてあり、日本でいえば国道筋のお食事処という雰囲気であった。天井が少し高いかなという程度で、全く日本にいるような気分であった。私達が注文した品も、チャンポンメン、カツ丼、しらすおろし、ひじきという具合であった。
  ハヤシ氏によれば、アメリカの商取引はすべて現金であるといわれる。ふつう一般には、25日締め切り、翌月末支払いで、もし翌月10日払うと何%かの値引きがあるという。期日以降に払うことは非道とされ、不都合のあった企業は信用調査の興信所のようなセンターに商号などを登録されてしまうという。センターの中には、ブラックリストを出版しているところもあるといわれる。やはり、商売をするには信用第一ということが万国共通のようである。

4万8千坪の卸商

  昼過ぎ、予定されているもう1つの卸商"Charles F.Guyon"を訪れた。製鉄所の跡地を購入したというだけあって敷地面積は39エーカー(4万8千坪)と想像がつかないほど広かった。いくつかある古い工場の建物の一画にオフィスは作られていた。中に入ると、外観とは打って変わって明るく、暖かくさえ感じた。受付のロビーには「きょう誕生日を迎える方」と掲示板に書いてあり、偶然にも11月6日は私達が今から会おうとしているベネット・ドビンさんの名があった。ドビン氏は、同社の副社長で、親しみのある笑顔の持ち主で、彼の案内で倉庫から見せていただくことになった。
  大統領選挙の日で倉庫は休んでいた。ステンレス関係の倉庫は2棟あり、パイプとバルブ継手類に分けてあった。両方とも300〜400坪の倉庫で、継手の棚は入荷時の梱包の廃材で作られていた。

Charles F.Guyonの倉庫で・・・左からドビン氏、ハヤシ氏、私、橋本氏