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損得で判断すること
 
  ものごとの判断基準に「どちらが得か」という考え方がある。損得で判断するのは、数字で現われてくるので、目で確認ができる。しかし、そこには価値観や信条、生きる姿勢、生きざまは、まったく反映されていないので、バランス的な見解から、注意して判断するように努めるのがいいように思う。

  ただウェイトの問題で、お金に執着する場合は「儲ける」ことに足を置けばいいし、存続・継続を目的とするならば、少しだけ「信条」にウェイトを掛ければいい。
  会社経営の目的が、どこにあるかによって、経営者の資質も問われるし、企業経営の姿勢も問われることになる。どこにウェイトを置くかによって、社員の動きも自ずから変わってくる。

  たとえば、結果のみを重視する経営に徹すれば、営業社員は成果や成績など数字のみに固執し、ただただ売上数字、販売個数を上げまくることが目標となる。
  ややもすれば、客先のことや同僚社員間のことを考えない自分本位の担当が増えてくる。三分の一以上の社員が数字のみを追求する輩になれば、社内の雰囲気はおかしくなってくる。その社風が普通になってしまうのが、恐ろしいことだ。
  いつの間にか、客先不在の自分たちだけの世界に陥ることになっていき、営業担当の欲望の連鎖が、果てしなく続くことになる。何もかもが、どちらが得か、どちらが損かという、その判断基準で、ものごとを見るのが癖になってしまう。

  すべての事象が、損か得か、有効利用、人的効率、節税、・・・ありとあらゆる損になるものを排除し、得となるもののみを残していく、そんなやり方で経営手段が為(な)されていく。人間は道具となってしまう。働き蜂や蟻んこになってしまう。

  業界でよくできる人物は、ヘッドハンターの誘惑に右往左往するありさまで、人材センターでは、派遣・出向という名を借りて、人身売買がまかり通っている。
  人生観や経営観、人間としての価値観の評価には、目もくれず、ひたすら実績、結果に拘泥するやり方は、人を評価する上で、比較的簡単である。数字によって結果が出てくるからである。学校のテストの成績を、順番に並べるのと同じである。
 マスコミや経済紙上で、勝ち組、負け組といわれているが、その評価たるも、実績である。売上額、経常利益額、販売台数、契約数、シェア率、伸び率、製造個数、着工数・・・すべて数字で現われてくるもので、勝ち組、負け組が決まってくる。
  その勝ち組、負け組、いったいそのボーダーラインはどの位置なんでしょうか?なぜ勝ち負けにこだわるのですか?勝ち負けの色を決めずに、中間色では具合が悪いのでしょうか?
  勝ちでもなく負けでもなく、中途半端な位置では、存在価値はないのでしょうか?負け組に入れば、即会社が潰れて倒産の危機に直面するのでしょうか?実にマスコミ、情報誌は、いい加減な無責任な評価を下しているにほかならない。そんなガセネタに惑わされることなく、自らの会社を信念を持って経営していくことが、一番大切ではないでしょうか? (2007.5.25)