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すぎる人
 
   いろんな人に出逢うことがある。とりわけボランティア活動をしているときには、その人間性が如実に顕れてくることがある。仕事などで利害関係が生じているときには、比較的スムースに進む=ビジネスライクに進むことはあるが、ボランティアの場合は全く世界が違ってくる。
   立場が会長や委員長であっても、会社でいう上司、部下の関係ではなく、単なる役割分担の世界でしかない。会長や委員長がよく事情を知っている訳でもなく、組織の飾りである場合もある。給料や報酬は、払っている訳でもなければ、労使関係はないのが普通である。
   しかしながら、会長や委員長になれば、役所の事務局などの職員に強く当ったり、態度が横柄になったりする輩も見受けることがある。活動に対して目的意識がなく自分の置かれた立場が分かっていない優柔不断な人も困るが、あまりにも理想主義、純粋な方も、同じように困るときがある。
   やり手で行動力もあり、活動の範囲や条件整備などの物事もよく熟知されているが、すべてを自分で掌握していないと、気がすまないのでしょう。何事も自分のフィルターを通って「OK」となる。だから慢性的に時間がいくらあっても足らない状況が続いている。周りから見れば完璧主義に映るのも致し方ない。起承転結に狂いはなく、サブを任された者の存在が自ずからなくなってくるのは見えている。周りの人たちの立場も考えて、己(おのれ)にスキを作ることはしない。

   「たいへん損な人だ」と思う。

    ボランティア活動の場合は、利害がないので嫌な奴だと思われたら、もう次の活動からは出席はしてくれない。ほとんどの人が息抜き的な捉え方で、活動をしているのが実情で まずは楽しいコミュニティーを築ければ、まずはそれで足ることになる。そこから先は、時間をかけてどれだけ積み上げできるか、である。
   ところでボランティアはさておき、会社において人に動いてもらうのは、比較的動いてもらうことができる。これは、給料を払っているからで、利害があるから、動いてくれるのである。
   仮に自分が、仕事100のうち、80できたら良し、と思って仕事を任せたとする。社員(指示を受けた者)が、すぐに動き、結果が80であれば、最高であるが、すぐに取りかからず、結果も50以下であるならば、社員個人としての邪念が多いということである。「俺やったらこうする」というのがある場合、仕事への取りかかりが遅いのが通例である。そういう場合には、ひとつのまとまった仕事を結果責任ごと、任せばうまく行く場合もあるのではないか、と察する。結果イメージだけを指示し、やり方は任せるのが良いのである。
   まあ、ボランティアでやっていただくように、社員を信じて仕事をしてもらうように、条件整備をして任せれば、比較的うまく行くのではないでしょうか?
   ただし、管理に関しては常に行き届いていないとダメで、利益は管理に比例するのではないでしょうか?役所的な管理ではなく、特有の切り口での管理のやり方ですが・・・これが一番難しい。少しでも気を弛めると「えらいこと」になってしまう。  (2006.4.16)