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史実は起こるべくして起きる

   思ってもみなかったことが、起きた。自分自身の過信からバチが当たったのかもしれない。しかしながら、この世は「起きるとき」は「起こるべく」して「起きるものだ」ということもよく判った。歴史上での起こった事実は、どうしようもない状況にあって「起きた」とも思えてきた。
 その日は、10時からは、梅雨の強い雨で時折強風が吹き荒れる夜となった。会合があったが一次会で失礼して、9時には自宅に戻ってパソコンを触っていた。次男の太一は、雨が激しく降っているので、普段より早めにアルバイト先へ、午後10時であった。オートバイではなく、地下鉄出勤で自宅の勝手口から外へでた。
 家内は10時ごろから床に就いていた。私と家内は昼間、成人病検査に行き、私は帰宅してすぐ、9時すぎに下剤を飲んだばかりであった。大粒の雨は降る。倉庫のトタン板の音、蔵の樋が音を立てている。三男の昌三は自分の部屋で、勉強をしていた。  BGMの代わりにテレビを点けていたが、音は小さめであった。
 雨が激しく降っていて、風も強い。会社の周りの溝ブタの音もする。少し軒があるので、雨の日は人がよく通る。パラパラというヒョウのような音が聞こえた気もする。
 ちょうど大便をしたいなと思い、パソコンを触っていたときに「ドン」と一発だけ地盤に衝撃があった。いつもならすぐに見回りに行くのだが、その時は、何も気にはしなかった。しかし何を思ったか、時刻だけはパソコンの右下の画面で確認をした。11:32であった。すぐに、トイレに立ち、簡単に風呂に入って、またパソコンをはじめた。
 雨の日は、マンションから物が落ちたり、蔵の壁が落ちたりすることがよくある。風も強くなってきたのか、自宅と会社の間のドアーが開く音がした。全く気にしなかったのは 今から思うと不思議なことである。極めつけは、雨が小降りになってきた頃、1時すぎに会社のドアーが閉まる音がしたときには「アレー」とは思ったが、思っただけで終わってしまっている。結局1時半まで、パソコンとにらめっこをしていて、ふつうどおりベッドで寝てしまった。
 雨が激しく降っている間、私は起きてはいたが、三男は2階、降りてはこなかった。家内は就寝。トイレは2回、風呂。パソコンを触っていた。テレビは点いていた。パジャマ着。という状況であった。
 また、当夜はパソコン関係の本や手引書などがすべて家にあったこと。風邪をひいていて、体調が本調子ではなかったことと、昼間検査のあとで下剤を飲んでいた。

 職人芸といわれる技(ワザ)で金庫破りをされて、朝出社しても、昨日とは変わらないというのであれば、別の意味で、敬服するのに値するように思う。しかしながら、痛々しく、仰向きで、レイプされたごとく死骸を横たえられている金庫の姿を見やると、ほんとうに情けなく思う。両開きと片開きの二つの金庫がやられたのは、実に腹立たしい。鍵を掛けていなかった手提げ金庫も力任せに壊されている。
 会社の歴史を一手に引き受けているのは、金庫だけのように思う。第二次世界大戦のとき、空襲の後、形が残っていたのは金庫であったといわれる。会社や家にとっては、それだけ金庫の存在は、大きいのではないでしょうか。自分の不注意によって、40年近くも頑張ってきた金庫が、スクラップにされるのは、涙がでてくる。引き取りに来たトラックが運び去るときには、頭を下げてしまった。
 人生50年、素直に現実を見つめても、至らない点が多々あり、まだまだ世間にお役に立たなければと反省することしきりです。どのようにしてお役に立てればいいか、よく判らなく迷う。唯一の慰めは、家族が侵入者と鉢合わせしていたり、さらに傷害事件に巻き込まれなかったことだ。後味が非常に悪い出来事であった。
 古い金庫の下についていた割れた鋳物の車輪は、自らの戒めとして保管しておくことにした。(2000.7.3)