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原因と結果

  今の時代は、不安定の時代といわれている。経済情勢は円高、構造不況、社会情勢も震災やテロ事件が起きている。政界もこれと思われるリーダーが不在です。実に不安定きわまる状態です。数年前の環境と今の環境とは、全く異質です。
 経営方針や計画を立てる時、数年前の過去のデータに基づき分析し、成功要因は何だったか、我社のセールスポイントはこれである。だから、今期はもう一度、この商品で勝負する。という分析をして方針を立てた場合、その会社の行方はどうなるでしょうか。実に、経営方針が時代に合っていないものになって、企業そのものが陳腐化してしまうのは、自然の流れと察する。まさにミス分析をしている。
 成功した原因を分析して、いつの間にか目的を結果と見て、手段を原因と見てしまっている。結果は過去の実績であって、これからの成果は、同様に実績となって期待できる保証は全くない。まして時代の変化が著しい時は、そのように分析することは、非常に危険である。過去の成功要因を研究し、会社の生存領域は何かを分析しても、単なる分析、資料に終わってしまう。さらに、その分析が成功要因の追求である場合は、まだ許せるが、失敗原因を分析したときは、もっと厄介である。物の見方が「マイナス思考」に陥ってしまうからだ。マイナス思考の経営になれば、会社全体は「病気」にかかってしまう。  変化する時代には、学業優秀なエリートは不要だと思う。試験の成績が優れていることは、素晴らしいことだが、当然のことながら出題者には答えが前もって、分かっている。出題者は、満点が100点で、答えが違っていれば減点していく。優秀なエリートは平和な時は、抜群の能力を発揮するが、現在のような不安定の時代には、能力を生かすことは難しい。出された問題を解くのは上手だが、緊急の時や、即断即決、奇抜な発想で臨機応変に対処していくことは、不得意と言える。
 それは、目的と結果、手段と原因を取り違えているからだ。目的が、結果と一緒になって100点であり、原因は努力していないから。手段が勉強をすること。101点以上の点数は、彼らの眼中にはない。いくら素晴らしくても120点という点は考えられない。ところが、実社会においては、100点という規準はないし、試験問題を出す者もいない。たとえ世間が出題者となっても問題の模範解答はない。結局彼らの仕事は、過去の実績を分析して、最もらしく評価することになる。彼らは与えられた問題を解くのは得意だが、結果から原因を探ったところで次の発展は期待できない。
 誰しも、目的をもって動いているものだ。前向きの目的もあるし、会社に行きたくないという消極的な目的もある。その目的ために手段を考えて、風邪気味だとか頭が痛いとかを理由にすることもある。原因が頭痛で、会社を休む場合もあるが、頭痛が治ったら出勤するとは限らない。頭が痛いというのは、会社に行きたくないという目的を達成するためのひとつの手段だったということもあるのです。
 人間が行動する上において、結果から原因を探るよりは、目的を定めて手段を決めていくほうが、プラス指向であり、心の健康によい。たとえば上司に、ある結果を見て原因を問われたとする。こちらとすればまず「どのように答えようか」と言い訳を考えてしまう。原因を追求したところで、その上司の心情的な納得にはなるかもしれないが、決して次のステップとはならない。かえってアラ探しをされたという印象が強く残って、士気は低下する恐れがある。それよりも新たな目標を定めて、その目標をクリヤーする方策を相談したほうが、建設的な意見も出るというもの。いろいろな策を練るうちに自ずから原因も分かってくる。(1995.7 管材新聞掲載)